ニート vs 全世界

がんばらないで、たのしく生きたい

ホリエモン不要説

今日、シン・ゴジラを見た。

ゴジラ作品を見るのは初めてだったが思いのほか楽しめた。他のゴジラ作品にも手を出してみようかな。

 

ところで、こわい怪物を倒す存在と言えば「ヒーロー」だ。しかし、私はこの「ヒーロー」のほうがよっぽど怖いと思う。

 

 

書店に行くと、あらゆる分野の「ヒーロー」が自己啓発本をバンバン出し、それが飛ぶように売れているのがわかる。

このテの本のよくあるパターンはこんな感じだ。

 

こんな僕でも頑張ったら成功できました!

みんなも勇気を持って一歩踏み出してみよう!

 

「勇気をくれる成功体験談」が大好きな大衆にはこれがよく刺さる。しかし、この主張こそが大問題なのだ。

 

この主張の問題は「再現性がない」ことに尽きる。

誰もが本の通りに努力したところで、本の通りの結果になるわけじゃない。実際の物事は複雑に入り組んでおり、単純な因果関係で割り切れるようなもので話はないのだ。

 

ではなぜ、そのような再現性のないことを平気で本に書いてしまうのか。

それには大きく二つの理由がある。一つは「生存バイアス」だ。世の中には成功した人の声ばかりが溢れる。なぜなら、失敗した人は本を書けないからだ。そうやって「強者の理論」ばかりが集まり、歪んだ主張がつくられることを生存バイアスと呼ぶ。教養のないアスリートや漫画家の書いた本はこの生存バイアスがかかっていることが多い。

 

 

 

次に、「ビジネス書は『ビジネスとして書かれている書』だ」という皮肉がある。役に立つ情報ではなく、売れる情報をのせているという話だ。

先程の生存バイアスの話を踏まえて考えてみよう。賢い著者がしっかりと書いたならば、「私の場合はこのようにして成功しました(だけど、他の人が同じようにやっても同じように成功できるかは保証しませんよ)」という客観的で冷静な本になるだろう。しかし、もちろんこんな書き方では売れない。ここは思い切って、「こうすれば絶対成功する!」と断言してしまった方が確実に「売れる」のだ。

ビジネス書にはその性質上、こういった怪しさがある。

 

 

 

 

さて、困ったことにこういった本はバカ売れし、「正論」として世の中に浸透してしまう。これが生きづらさを生むのだ。(あり金全部使っていいわけないじゃんね)

 

ところで、私はEXITの兼近という芸人が大好きだ。

彼はかなりの貧乏な家庭出身ということだが、今ではすっかりスターとなった。彼は貧乏生活のことを「ハッピーチャラ貧乏」と表現して笑いを取っているが、実際はかなり大変だったに違いない。

 

( ※ 追記:この記事は3ヶ月ほど前に書いたのだが...。某週刊誌を見る限り、彼はやはり相当な苦労人だったようだ。)

 

 

 

さて、仮に彼が「貧乏でもスターになれる!」という本を出版したとしよう。大人気の彼の本ならかるくベストセラーになるだろう。

問題はそこからだ。「貧乏でもスターになれる!」が「正論」として広まってしまうとどうなるか。「貧乏だから何もできない」という人が「甘えるな!」と叩かれるようになるのだ。ヒーローが軽い気持ちで吐いた「美談」で、弱者が殺されるのだ。

 

 

 

 

ホリエモンゴジラより怖い。

 

 

 

 

傘不要説

 

 

 

 

雨は危険

 

 

雨はとっても危ない。サバイバル番組とか見たことある人ならわかると思う。

雨に濡れると急激に体温を奪われる。体調崩すし、下手したら命に関わるんだ。冬の無人島とかならね。

 

 

「傘させよ」

「ここは冬の無人島じゃねえ」

 

まぁ、そうなんだけどさ。

 

 

 

 

 

すべての傘をへしおろう

 

 

傘があるから外出できるだろ、っていうじゃん?

いやいやいや、その考えはまったく違うんだよ。

 

「傘なんてものがあるせいでヒトは外出しなきゃいけなくなってる」んだ。

 

 

だって、そうでしょ。

もし傘がない世の中だったとしてさ、友達に「うちに遊びに来てよ」なんて言える?

言えないよね。風邪ひくもん。

 

考えてみれば、人間以外の動物は雨の日に活動しない。

危ないからだ。傘がないからだ。

でも、ヒトは傘の発明によって外出できるようになった。いや、しなければいけなくなったんだ。

 

テクノロジーは世の中をブラックにする。

傘のせいで雨の日も活動しなきゃいけなくなった。

スマホのせいでいつも社会とつながるハメになった。

蛍光灯のせいで夜も昼みたいに仕事することになった。

 

人類の発展が、世界をブラックにしてる。

「すごいモノ」が世の中に増えるほどにどんどん息苦しくなっていく。

 

 

さあ、いますぐすべての傘をへしおろう。

 

 

 

 

 

ゆとり世代は日本の希望だ

 

 

はじめまして、ぷろゆーです。

 

競争が嫌いで、ストレス耐性がなく、プライベート重視で、合理主義で、無欲。

そんなゆとり世代ど真ん中な僕。

 

昔はよく、先生や親から怒られたもんだ。

大人に反発しまくって生きると、苦労をする。

 

でも、僕はどれだけ怒られても自分の生き方を変えることはなかった。

 

ゆとりの、プロだから。

 

 

 

「これだからゆとり世代は・・」と、言われる。

でも、僕はあんまり気にならない。

「そういうあんたはバブルでしょ」って感じだ。絶対言わないけど。

 

そもそも、人は世代間抗争が好きな生き物だ。

エジプトの壁画にも「最近の若者は・・」と書かれていたという都市伝説がある。

その真偽は謎だけど、世代間抗争が普遍的なのは間違いない。

同期はいいヤツで、先輩はうざくて、後輩はキモイのだ。

 

自分以外の世代をバカにしてみたところで、あんまり意味はない。

反発されて溝が深まるのが関の山だ。

だからまぁ、わざわざ否定しなくてもいいと思う。

世代によって違うもんだよな、ってぼーっと思うくらいがちょうどいい。

 

 

 

ゆとり世代は日本の希望だと思う。

 

こう思うのも僕がゆとり世代だからなんだろう。

僕はゆとり世代だから、ゆとり世代が好きだ。

「世代」なんてものは、きっとこんなもんなのだ。

 

ゆとり世代が日本の希望なわけがあるか!」と思う人も当然いるだろう。

そしてきっと、その人はゆとり世代ではないのだ。

 

どうせこの程度の話なら、自分の世代を愛したほうがおトクだ。

だから僕は「ゆとり最高だぜ」と何度でも言ってやろうと思う。

 

 

 

そんな僕が、プロゆとり世代だ。

どうぞお付き合いください。